魔力、薬物、波乱、そしてトロール:『ダンジョンキーパー』の栄光と衰退
もしあなたが邪悪な支配者で、何が何でも世界を掌握しようとしていたらどうでしょう?1997年、『ダンジョンキーパー』がPCゲームの世界に突如として登場し、プレイヤーに楽しくも不気味な体験をもたらしました。このゲームでプレイヤーは、土や岩から地下ダンジョンを掘り出し、モンスターの軍隊を編成して、うっとうしいほど陽気で豊かなファンタジーの世界に大混乱を引き起こさなければなりません。
30年近く経った今でも、スリルを覚えるようなゲームコンセプトです。『ダンジョンキーパー』は、単にゲームの伝統的な英雄物語を反転させただけではなく、経営ゲームの概念も再定義しました。テーマパークや病院のようにスムーズに機能するインフラを構築するのではなく、事あるごとに権威に抵抗する混沌とした手下たちを管理しなければなりません。この手下たちとは、互いに軽蔑し合うスパイダーやフライ、戦うことよりも読書を好むウォーロック、自分の拷問に夢中になって敵を拷問することを忘れてしまうダークミストレス、そしてダンジョンに侵入しようとする英雄たちと同じくらいダンジョンにとって脅威となる手に負えないホーンドリーパーです。
『ダンジョンキーパー』は、混沌としつつ、狡猾で、革新的な傑作であり、経営ゲーム、戦略ゲーム、そしてゴッドゲームの要素を独自に組み合わせた比類のないデザインのゲームです。『ダンジョンキーパー』の制作がゲーム自体と同じくらい波乱に満ちたものであったのは驚きではないでしょう。
これは、脅迫、麻薬、紛争、そしてゲーム業界で最もユニークなスタジオのひとつが没落する物語です。『ダンジョンキーパー』は最終的にゴッドゲームの世界を制覇しましたが、その恐怖の支配は残念ながら短いものでした。その話をクリエイター本人の口で語っていただきます。
悪辣なデザイン
Bullfrog Productions開発の『ダンジョンキーパー』は、『テーマパーク』のリリース直後の1994年夏に共同設立者のピーター・モリニュー氏が最初に構想しました。モリニュー氏が交通渋滞に巻き込まれたときにこのコンセプトを思いついたという話がありますが、30年経った今、彼はもうこれを覚えていません。
「とても鬱陶しがっている自分が想像できますよ」現在のスタジオである22 Cansのオフィスでモリニュー氏は話してくれました。「渋滞に巻き込まれると、ありとあらゆる人に向かって叫び出し、自分の邪悪な部分が出てきて、ロードレイジだって起きます。だから、そこからインスピレーションを受けることも想像できますね」
モリニュー氏が覚えているのは、頭に浮かんだ中核となるアイデアです。「それは『悪者は決して成功しない』という考えに対する私の少しばかりの執着でした」モリニュー氏は続けます。「ジェームズ・ボンドの映画を見ると、ジェームズ・ボンドがやってきて、間違ったボタンか何かを押して悪者をやっつけてしまい、すると悪者が一生をかけた仕事が瞬時に破壊されてしまうんです。私はいつもこう思っていました。『悪者が雇っている人々のことなど、誰も考えなどしないんだ。不公平な話だよ』」
モリニュー氏は、この考えから『ダンジョンキーパー』を着想したと思っています。「プレイヤーが悪者になるゲームを作るとしたら、そのゲームはどのような感じになるでしょう?善良なヒーローたちが究極の宝物を盗もうとして失敗するようなダンジョンを設計するというアイデアは、面白いひねりになるだろうと思いました」
当時、Bullfrogは、高度な3Dグラフィックエンジンを特徴とする一人称視点フライングゲーム『Magic Carpet』の開発を終えたばかりでした。このエンジンを使用して、『Magic Carpet』のプログラマーであるサイモン・カーター氏は『ダンジョンキーパー』のプロトタイプを作成しました。『Magic Carpet』同様、このゲームも一人称視点でした。
「すぐに、さまざまなクリーチャーに憑依できるというアイデアが浮かび、それから掘って部屋を作るというコンセプトを考えました」とモリニュー氏は語ります。「Bullfrogやその後のLionheadでのプロジェクトとまったく同じで、座ってデザインドキュメントを書くことはしませんでした。そうではなく、『ああ、これはこれをテーマにしたゲームだ』と言って、取り掛かるんです。非専門的なアプローチだと思われるかもしれませんが、何か新しいものを発見し、未知の領域を探索しようとしているときには、実はかなり便利なテクニックです」
『ダンジョンキーパー』のプロトタイプは急速に進みましたが、1995年初頭に2件の重要な出来事が起こり、モリニュー氏はプロジェクトから手を引くことになりました。BullfrogがElectronic Artsに買収され、モリニュー氏は同社の副社長兼ヨーロッパ担当責任者に就任しました。その後すぐに、EAはモリニュー氏に、次の四半期にリリースできるゲームがないことを知らせ、『ダンジョンキーパー』を6週間でリリースできるかどうかを尋ねました。
「絶対に無理だと言いましたよ。アルファ版もできていなかったんですから」モリニュー氏は思い起こします。「私は彼らと取り決めをして、ゲームを制作しました。それが『Hi-Octane』です。ショーン・クーパーが6週間で書き上げました」(他のインタビューでは、クーパー氏は開発期間を8週間と語っています。)
このプロジェクトとモリニュー氏のEAの副社長という新たな責務により、1995年はずっと『ダンジョンキーパー』に関わることができませんでした。モリニュー氏が忙しくしている間に、『ダンジョンキーパー』は、サイモン・カーター氏とその兄のデーン・カーター氏、プログラマーのジョンティ・バーンズ氏とアレックス・ピーターズ氏、そして『Magic Carpet』の開発中にBullfrogに入社したリードアーティストのマーク・ヒーリー氏により開発が進められました。
ヒーリー氏はこう言います。「まず一番にしなければならなかったことは、ジャグリングを学ぶことでした。というのも、オフィスの全員がジャグリングをしながら歩いていたからです。そして1日を通して、一輪車で走り回る人や、野球バットを持って廊下でスケボーを乗り回している人を見かけました。非常に特異な人たちですよ」
ヒーリー氏は『ダンジョンキーパー』のグラフィックのほぼすべてをデザインしました。このゲームのユニークなビジュアルは、2つの重要なビジュアルデザインの選択により生まれました。
1つ目は、テクスチャをワールドジオメトリに直接ペイントするのではなく、3Dでモデリングしてからレンダリングするというヒーリー氏のアプローチです。「平坦な顔だったとしても、実際のポリゴン数よりも多くのポリゴンが使用されているように見えました」とヒーリー氏は説明します。また、『ダンジョンキーパー』のエンジンデザイナーであるグレン・コープス氏を説得して、グラフィックレンダラーに「揺れるもの」(ヒーリー氏がこう呼んでいます)を実装させ、ワールドジオメトリを歪めました。「柱は真っ直ぐな立方体ではなく、奇妙でランダムな曲がり方をしていました」
プレイヤーがダンジョンで管理するクリーチャーとこのクリーチャーが戦うヒーローの両方を含む、大半のゲームキャラクターをデザインしたのもヒーリー氏です。しかし、キャラクターのコンセプトはBullfrog内のさまざまなソースから生まれました。
ヒーリー氏は話します。「ピーターが既に考えていたことがいくつかありました。小さな労働者としてインプが必要だということは分かっていました。また、研究を行う何らかの魔法使いも登場させる予定でした。特にドワーフやバーバリアンといったGames Workshop風の要素について、インスピレーションを得るために『White Dwarf』誌をめくっていたことを覚えています」
ヒーリー氏自身の創作キャラクターには、ダークミストレス(他人と自分自身の両方を拷問することに喜びを感じる革の服を着たサドマゾヒスト)やホーンドリーパーなどが挙げられます。「自分のクリーチャーさえも含むあらゆるものすべてを毛嫌いするキャラクターがいて、そのキャラクターを完全に制御できないというアイデアが気に入りました」リーパーはヒーリー氏の元ガールフレンドから大まかにインスピレーションを得ているそうです。
「どうもあの笑顔に何かあるんです」とヒーリー氏は話しました。
舞台裏
1995年を通して『ダンジョンキーパー』の開発は着実に続きましたが、クリスマスの時点ではまだ完成には程遠い状態でした。ヒーリー氏は説明します。「ゲームがなかったんですよ。長い間、見た目をよくすることに時間を費やしていたのですが、できることと言ったら廊下でファイアボールを撃つことだけでした」
1996年にモリニュー氏がプロジェクトに戻りました。ゲームデザインをやりたかったことと、EAでの幹部としての役割に適応するのに苦労したモリニュー氏は、副社長を辞任し、実際に会社を完全に去りました。しかし、『ダンジョンキーパー』の開発は完成させてもらえるようにとEAを説得したのです。EAとモリニュー氏は条件付きで合意しました。
この条件の詳細については、議論の余地があると言えます。「ピーターは『ダンジョンキーパー』の開発中に既にオフィスから締め出されていました」とヒーリー氏は回想します。「何かが起こり、早い話、EAは彼をオフィスに置きたくなかったのだと私は理解しています」
モリニュー氏はこの状況をそれほど辛辣なものではないと説明します。「私は既にElectronic Artsに退職届を出していました。当然ながら、彼らは私のような潜在的に混乱を招く人物がスタジオに残ることを望んでいませんでした。そこで私は、『『ダンジョンキーパー』が完成するまでは去りません。チームを私の家に連れて行って、そこでゲームを完成させるのはどうですか?』と提案しました」
状況がどうであれ、EAはモリニュー氏の提案に同意し、ヒーリー氏、カーター兄弟、アレックス・ピーターズ氏からなる『ダンジョンキーパー』の中核となるデザインチームはワークステーションをモリニュー氏の自宅の一室に移しました。
「ピーターは当時、美しい庭のある素敵な家を持っていたので、昼休みには外に出て木々の間を散歩することができました」とヒーリー氏は話しています。
一部のデザイナーにとっては、そこが一時的な家となりました。「サイモン・カーターはかなり長い間…実際数年間ほど、今の奥さんである女性と私の家に住んでいました」とモリニュー氏が振り返ります。
『ダンジョンキーパー』のデザインにとって、環境の変化が直接的な影響を与えたかどうかは分かりませんが、モリニュー氏の復帰は確かに影響を及ぼしました。ヒーリー氏はこう話します。「彼は、『よし、ちゃんとしたゲームをここでデザインしないと』って感じでした」
この時点で、『ダンジョンキーパー』はゼロから再デザインされました。「2Dでゲームをプレイするための小さなテスト環境を作成しました。これにより、作業する機能が増え、ゲームプレイのバランスをとるのに役立ちました」とモリニュー氏は説明します。これらの機能が洗練され、楽しめるようになったら、3Dゲームエンジンに移植されました。
この時期に、争いや衝突につながる独特のクリーチャーの行動など、『ダンジョンキーパー』の特徴的なメカニズムが形作られました。
モリニュー氏はこう話します。「これは、固定されたデザインを持たないことの利点と言えるでしょう。ある朝目覚めて、『クリーチャーに個性を持たせたらどうだろう?邪悪なクリーチャーなはずなんだから!気性が荒くてもいいだろう』と考えることもあるでしょう」
この時期に生まれた他のアイデアには、インプが掘るためのタイルをハイライトする機能や、クリーチャーを叩いてより一生懸命働かせるというコンセプトなどがあり、後者はヒーリー氏の貢献によるものでした。「手は、物を指すときに使うものなので、おそらく既にあったと思います。でもそのとき『その手でクリーチャーを叩くと動作が速くなるとしたらクールじゃないか』というアイデアを思いつきました。そこで、それを加えてみたら、本当にうまくいったんです」
モリニュー氏の復帰と仕事環境の変化に加えて、他にも『ダンジョンキーパー』のデザインに影響を与えた要因があったと思われます。たとえば、ヒーリー氏は怪我の症状に自己治療をしながら苦しんでいました。「椎間板ヘルニアになってしまったんです。『ダンジョンキーパー』の開発中の大半は、これに悩まされていました」ヒーリー氏は続けます。「ひっきりなしにマリファナを吸っていたのですが、それがグラフィックに大きな影響を与えたかもしれないですね」
『ダンジョンキーパー』の開発話に出てくる珍しい薬物はこれだけではありません。
「私は特別な食材を入れてチリを作ることで有名でした。完全に合法な食材ではありません」とモリニュー氏は明かします。「このチリを作って、家でパーティーを開き、Electronic Artsの重役を数人招待したんですよ。不運なことに、私が塊状のこの材料をすりおろしていたときに、役員の一人が「ああ、チリだ!」と叫んで、すりおろした物質が大量に載ったチリをスプーンですくって食べたんです。その後は、彼はあまり調子が良くなかったようですね」
ヒーリー氏もモリニュー氏の特別なチリを覚えています。「大混乱を起こしたものですよ」と氏は語ります。
解き放たれたクリーチャー
モリニュー氏は、『ダンジョンキーパー』の発売までの期間を「とてもめちゃくちゃな時期」と表現しています。チームはゲームを完成させるために長時間働いていましたが、これは90年代にはよくあることでした。
「昔は朝起きてから夜寝るまでずっと働いていたもんですよ。通勤をしなくてよかったので、家で働くほうが便利だったんです」とモリニュー氏は話します。これに加えて、モリニュー氏はBullfrog後の人生についても考えており、後にGoogle DeepMindの共同創設者となるデミス・ハサビス氏とLionheadを立ち上げる可能性について話し合い、後に『ブラック&ホワイト』となるアイデアをブレインストーミングしていました。
モリニュー氏が命を脅かすメッセージを受け取ったのもこの時期でした。モリニュー氏は語ります。「ショットガンで撃つと脅されたんですよ。その人物は私とすべての雑誌に手紙を送ってきて、その週末に実行する。つまり、私のところまで来て殺すつもりだと書いたんです」警察は通報を受けて、捜査しました。「その名前の人物がショットガンを持っていることは分かったのですが、手紙を送ったのはその人物ではありませんでした」
幸い、脅迫はただの脅迫に終わりました。モリニュー氏は、この件の前にこの人物と手紙のやり取りをしていたと説明しています。「最初の何通かの手紙には返信しました。人のキャリアを手助けするのは好きですからね。その後、少しクレイジーな部分が見えたので、返事をするのをやめました」脅迫は返信をやめたことに対する仕返しだとモリニュー氏は思っています。「『私とこれ以上話さないというなら、殺してやる』というメッセージだったのだと思います」
ヒーリー氏も『ダンジョンキーパー』の最終段階が特に緊張した時期だったと回想し、自らプロジェクトから離れた瞬間を覚えています。「かなり仕事をしていました。夜も遅かったですし。ピーターはかなりストレスを感じていたと思いますよ。私は部屋の隅の机に座って、最後のちょっとした仕事を終えようとしていました」ヒーリー氏は説明します。「椅子の背にもたれて、新聞を手に取り、『よし、終わった!』と言ったのを覚えています。それがピーターの気に障ったんですね。スリッパかなんかを投げられましたよ」
マスターされたダンジョン
『ダンジョンキーパー』がリリースされると大ヒットを収め、素晴らしいレビューを受けました。販売本数も素晴らしいもので、2003年までに70万本を記録しました。『テーマパーク』ほどの成功を収めたわけではありませんが、EAが続編の開発にゴーサインを出すくらい売れました。
しかし、『ダンジョンキーパー2』のデザインを担当したチームはまったく異なっていました。モリニュー氏の退社により、ヒーリー氏を含め、会社の多くのデザイナーが彼を追ってLionheadへと移りました。『ダンジョンキーパー』の主要となるデザインチームの中で、エンジンプログラマーのマーティン・ベル氏とアレックス・ピーターズ氏のみがBullfrogに留まりました。
かといって、『ダンジョンキーパー2』がBullfrogの精神を受け継がずに開発されたということではありません。リードデザイナーの役目を担った『Hi-Octane』のショーン・クーパー氏を含め、最初の『ダンジョンキーパー』プロジェクトに関わっていなかった数多くのBullfrogのデザイナーが続編の作業を行いました。『ダンジョンキーパー2』のリードプロデューサーであるニック・ゴールズワーシーは、『Syndicate』の時代からBullfrogと緊密に協力してきました。
「BullfrogがEAに吸収されると、最初は『ポピュラス ザ・ビギニング』に関わりました。しかし、『ダンジョンキーパー2』のチームが形成されるとすぐに、我慢できなくてプロジェクトを移りました。自分のルーツに近かったからです」とゴールズワーシー氏は話します。
続編にあたって、Bullfrogは『ダンジョンキーパー』の根幹となるコンセプトを変更することを望みませんでした。その代わり、ゲーム体験を徹底的に改善することを目指しました。その取り組みは、まずビジュアル面から始まりました。プロジェクトの発足当初、『ダンジョンキーパー』のグラフィックは最先端でしたが、本格的な3Dや3Dアクセラレーションの登場により、1997年には時代遅れとなっていました。
「ダンジョン全体とそこに住む生物を3Dで描写する独自エンジンを開発しました。そのため、3Dモデラー、リガー、アニメーターなど、はるかに大規模なチームが必要となりました」とゴールズワーシー氏は言います。
これと並行して、BullfrogはUIの刷新も検討していました。ゴールズワーシー氏は「第一作について、一部のプレイヤーから少々煩雑でわかりにくいとの意見がありました」と言います。
そのように感じていたのはプレイヤーだけではなく、モリニュー氏も同様でした。「『ダンジョンキーパー』で私が最も嫌っているのはインターフェースです」とモリニュー氏は言います。「アイコンなどの要素や、表示されるさまざまなメニューが多すぎたのです。あまりにも煩雑だったため、『『ブラック&ホワイト』』ではHUDを一切廃止しよう』と決めたほどです」
Bullfrogは、ゲームの根幹部分はほぼそのままに、『ダンジョンキーパー2』ではクリーチャーの挙動にいくつのかの調整を加え、「ふらふらと歩き回ったり、重要なタスクを無視したり」しないようにしました。また、Bullfrogのデザイナーは、コアループに変化を持たせるように取り組みました。「第一作は素晴らしいゲームでしたが、少し単調に感じられることがあったのです」とゴールズワーシー氏は言います。
しかし、『ダンジョンキーパー2』の開発中に最も大きな変化を遂げたのは、他ならぬBullfrogでした。「Bullfrogは素晴らしいゲームを作ることで高い評価を受けていました。EAはどちらかと言うとビジネスライクなアプローチを取っていたので、成長の過程で苦労することもありました」とゴールズワーシー氏は語ります。
EAは、Bullfrogが持つ実験精神を維持したいと考えていました。「中核となる研究開発エンジニアには、新しいアイデアに取り組む自由が与えられ、失敗はプロセスの一部と見なされていました」とゴールズワーシー氏は説明します。もっとも、EAは同時に、きちんとした組織体制も望んでおり、その一環として専任のプロジェクトマネージャーを配置しました。「彼はまったく異なる業界の出身でしたが、マイルストーンを重視した体制を導入しました。それは非常に重要であることが明らかになりました」
失意
『ダンジョンキーパー2』は1999年6月に発売され、前作と同様に非常に高い評価を受けました。信頼できる販売データは入手困難ですが、BullfrogとEAが大きな期待をかけていたことは明らかです。なぜなら、ディスクには『ダンジョンキーパー3』のティーザートレーラーが収録されていたからです。
結果論ではありますが、これはいささか自信過剰だったと言えるかもしれません。しかし、Bullfrogは当時『ダンジョンキーパー3』の開発を本気で目指していただけでなく、その計画は『ダンジョンキーパー2』よりもはるかに野心的でした。このゲームでは、プレイヤーは地下の迷路から地上へと進出し、ダンジョンだけでなく本格的な城を築くことができるようになる予定でした。
ゴールズワーシー氏はこう述べます。「当時、『Warcraft 3』のトレーラーを見たのを覚えています。衝撃的でした。あのトレーラーは、第三の種族『エルダー』のアイデアにも影響を与えたほどです。ナイトエルフのような雰囲気の種族です」
『ダンジョンキーパー3』の開発チームは、Adobe Flashを使って新しいシステムを試作し、さらに洗練されたコロニーシミュレーションの構築を目指していました。「設計上の特に大きな課題は、インプの自律的なメカニズムを、城の胸壁の構築や、森、林、巣穴とのインタラクトといったことにも適用できるかどうかということでした」とゴールズワーシー氏は言います。「非常に大きな可能性を秘めていましたが、残念なことに、具体的な形になることはありませんでした」
事実、『ダンジョンキーパー3』の開発は構想段階からほとんど進まず、2000年8月には正式に開発中止が決定されました。開発中止の背景には、まったくもって金銭的な事情がありました。
「EAは『ハリー・ポッター』のゲームのような、より大きな作品にリソースを振り分けることを決定し、多くのチームメンバーが配置換えとなりました」とゴールズワーシー氏は言います。「私たちにとっては、本当に辛い出来事でした。あのプロジェクトには、本当に情熱を注いでいましたから。ですが、今振り返ってみると、EAにとっては戦略的に正しい判断だったのでしょう」
伝説
『ダンジョンキーパー3』の開発中止後、Bullfrogはさらに2つのゲームを制作しました。『テーマパークワールド』と『(株)テーマパーク』です。ところが、『(株)テーマパーク』が開発される頃には、Bullfrogはもはや会社としての実体を持たず、ブランド名に過ぎなくなっていました。Bullfrogのデザイナーの大部分がEA UKに吸収されていたのです。
その革新性と圧倒的な高評価にもかかわらず、『ダンジョンキーパー』の栄光はわずか2年余りで終わりを迎えました。そして、2014年にリリースされたモバイルゲームは別として、このシリーズが再び日の目を見ることはありませんでした。とはいえ、かつての関係者たちがこのシリーズについて考えなかったわけではありません。
「もしもこのシリーズを再び手がける機会があるなら、ただの精神的続編にはしたくありません。徹底的に邪悪なダンジョンの支配者になれるというコンセプトをさらに深く掘り下げて、善と悪の対比をより鮮明に描きたいです」とゴールズワーシー氏は語ります。
当時のデザイナーたちが『ダンジョンキーパー』に戻ることはありませんでしたが、同作の精神は生き続けています。これまでに数多くのゲームが『ダンジョンキーパー』の後継者となることを目指してきました。Kalypso Mediaの『Dungeons』シリーズや、2015年の『War for the Overworld』などです。後者の作品では、『ダンジョンキーパー』のナレーターだったリチャード・ライディングス氏が起用されてナレーションを担当し、悪の支配者シミュレーションというジャンルに新たな解釈を加えています。
『ダンジョンキーパー』が生みだした核となるアイデアは、他の多くのゲームにも影響を与えています。特に、モリニュー氏が手がけた『ブラック&ホワイト』は、『ダンジョンキーパー』の管理システムを色濃く引き継いでいます。
また、モリニュー氏によると、自身の新作である『Masters of Albion』にも、『ダンジョンキーパー』から生まれたアイデアがいくつか取り入れられているそうです。『ダンジョンキーパー』では勇者たちがダンジョンの心臓部を破壊しようと攻めてきましたが、『Masters of Albion』では、夜のAlbion(アルビオン)を徘徊する敵が、街の地下に保管されている宝を狙ってきます。
『Masters of Albion』にはキャラクター憑依の仕組みもありますが、モリニュー氏はこれをゲームプレイにおいてより重要な要素にしたいと考えています。「『ダンジョンキーパー』では、フライやインプなどあらゆるクリーチャーに憑依できましたが、憑依する理由は特にありませんでした。どちらかといえば、ギミックのようなものでした」とモリニュー氏は言います。「憑依というアイデアをもう一度取り入れたいのですが、今回はゲームプレイにしっかりと組み込まれたものにしたいと思っています」
なお、『Masters of Albion』は『ダンジョンキーパー』だけにインスピレーションを受けているわけではありません。『Fable』や『ブラック&ホワイト』からも大きな影響を受けています。モリニュー氏は冷静さを保とうと努めているものの、プロジェクトへの期待を抑えきれない様子です。
「本当にワクワクしています。『ダンジョンキーパー』や『ブラック&ホワイト』、『Fable』を楽しんでくれたプレイヤーたちが『Masters of Albion』をプレイできると思うと、興奮して眠れないほどです」とモリニュー氏は言います。「なぜなら、この作品はおそらく私の最後のゲームになるからです。平たく言えば、私はもう歳ですから、この仕事を続けるのは厳しいのです。ですので、私の心、魂、情熱のすべてを本作に注いでいます」
『ダンジョンキーパー』の開発中には、殺害予告、EAとの緊張、自身のBullfrogからの離脱など、さまざまなことがありました。今振り返って、モリニュー氏は同作についてどのように感じているのでしょうか?「『ダンジョンキーパー』は私のお気に入りのゲームの中で、3本の指に入る作品です」とモリニュー氏はためらうことなく答えます。「『ブラック&ホワイト』、『Fable』、そして『ダンジョンキーパー』です」
『ダンジョンキーパー』および『ダンジョンキーパー2』はEpic Games Storeで入手可能です。