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歴史を表現する:『The Oregon Trail』が持つ複数の顔

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Rick Lane
2024年7月22日
1971年に最初にリリースされた『The Oregon Trail』は、サバイバルゲームの元祖であるとされることが多い作品です。 『The Oregon Trail』は、3人の学生教師が、勤務先のミネソタ州の高校の教育プログラムとして開発したもので、プレイヤーは19世紀半ばのアメリカ西部開拓の一環として、ミズーリ州インディペンデンスからオレゴンシティまでの2,000マイル以上を進む幌馬車隊を導くことになります。 ターン制のテキストアドベンチャーで、プレイヤーは悪天候、馬車の損傷、野生動物の襲撃、病気といった出来事に対応しながら、辺境の町で食料を探したり物資を購入したりしながら、西へと旅しなくてはなりません。

リリースから50年以上が経過した今、『The Oregon Trail』は史上最も有名な教育ゲームであり、商業的に最も成功したゲームのひとつでもあります。 しかし、本作で描かれている危険な道のりと同じように、ミネソタ州の公立学校から始まり、国際的な評価を受けるまでの旅も簡単なものではありませんでした。 何十年にもわたって、『The Oregon Trail』は何度も進化を遂げ、複数の開発者が新しいテクノロジーを活用してその根本的なデザインを改良することで、ゲームを新しいプレイヤーに届けてきました。

しかし、このシリーズで行われた最も重要な変更はおそらく、歴史そのものの描き方でしょう。 教育ゲームとして、『The Oregon Trail』は歴史的なコンセンサスと常に対話しており、新しいゲームが登場するたび、描かれている出来事に対する最新の理解がもたらされます。 長年にわたり、『The Oregon Trail』は、この道のりを旅する人々が直面した危険に関する長年の通説に異議を唱え、米国の西への拡大を複数の視点から表現しようと努め、さらに最近では、歴史上のこの時代の暗黒面を認めなかった自らの失敗と向き合ってきました。

質素な始まり

『The Oregon Trail』は1971年に誕生しましたが、最もよく知られているバージョンは1985年のものになります。 このバージョンの開発を指揮したのは、R・フィリップ・ブシャール氏。当時、彼はMinnesota Educational Computing Consortiumのソフトウェア作成者でした。
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「MECCは、ミネソタ州の教育機関へのサービス提供に特化した州機関として1973年に始まりました」とブシャール氏は言います。 「Apple IIやその他のマイクロコンピューターが発明されるまでは、MECCの活動はメインフレームコンピューターに基づいていました」 ブシャール氏が説明するように、MECCの主な目的は、入学者管理やスクールバスの経路の決定といった業務のための「管理ソフトウェア」を構築し、保守することでした。 「それとは対照的に、[『The Oregon Trail』のような]教育ソフトはすべて実験的なもので、アマチュアが暇なときに考え、作り上げたものでした」

1980年には、『The Oregon Trail』にはすでにいくつかのバージョンがありました。 3人の共同制作者のうちのひとりであるドン・ローウィッシュ氏は、1974年にMECCに入社し、地元の学校が端末を介して接続できる同部署のメインフレームコンピューター(単に「OREGON」として知られる)用に本作の新バージョンを制作しました。 続いて1979年には、Apple II用に開発された別のバージョンが登場。MECCがAppleのマイクロコンピューターの採用を学校に勧め始め、マシンを買い占めて学校に原価で売ったのです。 「MECCは、すぐさまApple IIコンピューターの世界最大の再販売業者となったのです」とブシャール氏は述べています。

この初期段階でさえ、『The Oregon Trail』はすでに一種の現象となっていました。 「北米の学校では大きな評判となり、主に生徒たちが余暇の娯楽として利用していました」とブシャール氏は言います。 「1983年には、MECCは「『The Oregon Trail』の会社」と呼ばれていました」 しかし、ブシャール氏によると、このニックネームは完全に褒められたものではなかったと言います。

「[『The Oregon Trail』が]1983年当時のMECCで最も有名な製品であったという事実は、むしろ恥ずべきことでした。グラフィック、プログラミング、全体的なデザインが荒削りで、時代遅れだったのです」 実際、本作の1979年バージョンは基本的に1974年バージョンを移植して、シューティングアクティビティのために、いくつかの小さな変更を行い、初歩的なグラフィックを用意したものでした。

ブシャールに言わせれば、この製品はこの組織の状態を反映していました。 「MECCでの最初の3年間は、非常にフラストレーションを感じさせるものでした」と彼は言います。 「この間、私は注目のソフトを設計する機会を与えられず、ましてやオリジナルのシミュレーションを設計することもできませんでした。 その間、MECCの競合他社が現れ始め、そのソフトウエアの品質は我々をはるかに上回っていることが多かったのです」

ブシャール氏のMECCでのどん底は、入社から2年後に訪れました。 「1983年まで、私はMECCが現代的な世界に移行する必要性を強く主張していました。現在カタログに掲載されているタイトルの大半を、捨てるか、入れ替える必要がありました。 また、「OREGON」はすぐにでも置き換えなくてはならないとも主張しました」
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1984年、ブシャール氏はついに望みをかなえます。 『The Oregon Trail』の新バージョンの制作を任せられたのです。オリジナルの「魔法を維持」しながら、演出を今時にするというものでした。

ゲームを変える

ブシャール氏は、グラフィックアドベンチャーを1984年に制作することは、「当然のことで、絶対にやらなくてはならないこと」だったと言います。 しかし、これらのグラフィックをどこに実装するのかは難しい問題でした。 『The Oregon Trail』は広範囲に及ぶゲームでしたが、各グラフィックには8キロバイトのディスク容量が必要で、フロッピーディスクの最大容量は片面で140キロバイトでした。 (「結果として、グラフィック用のスペースが非常に限られたものになってしまいました」と彼は説明します。) 最終的には、プレイヤーが訪れたランドマークは静止画で、移動や、狩猟などのその他のアクティビティの描写はアニメーショングラフィックで表現することに落ち着きました。

しかし、ブシャール氏が望んでいたのはオリジナルの作品をきれいに仕上げることだけではありませんでした。 彼は、ローウィッシュ氏の1971年のデザインを現代に合わせてアップデートしたかったのです。 「当時としては、本当に画期的な製品であり、オリジナルのデザイナーたちは本物の先見性を持っていました」と彼は言います。 「しかし1984年になると、製品にそれほど感心しなくなってしまいました。 このゲームは、プレイヤーがコントロールできる部分が少なすぎるし、決断する機会も少なすぎると思ったのです」

これらのエリアを拡大するために、ブシャール氏はいくつかの重要なデザイン変更を行いました。 「固定時間のターン制を廃止し、実際の旅行者にとって重要なランドマークを慎重に選びながら、固定された地理ポイント間の移動に基づく新しいモデルを作り上げました」と彼は言います。 「この点から点への移動モデルに落ち着き、追加のゲームアクティビティを考案し始めることができました。ランドマークで利用できるもの(川を渡る、人々と話すなど)もあれば、ランドマーク間で利用できるもの(完全に刷新された狩猟システムなど)もありました」

ブシャール氏は、このバージョンが家庭用コンピューター向けであったことに影響を受け、追加の調整を行いました。 「当時のほとんどの学校では、子どもたちはMECCの製品を利用するためにコンピューター室まで向かわなくてはならないため、使用できる時間は非常に限られていました。 しかし、家庭向けには、何度もプレイできる製品をデザインする必要がありました」 その結果、スコアシステム、ハイスコアリスト、複数の難易度が導入されました。

「また、馬車に乗っているほかの4人の名前をプレイヤーが選択できるようにすることも思いつきました。彼らはそれぞれ病気になったり、怪我をしたり、死んでしまったりします」 ブシャール氏は、自分のキャラクターをパーソナライズできれば、プレイヤーに「もう一度挑戦したい、もっとうまくやりたい」と思わせられるだろうと考えたのです。
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ブシャール氏が行った最も重要な変更のひとつは、ゲームの病気システムを全面的に見直し、ゲーム内で大きく目立つようにしたことです。 このことは、「赤痢で死にました」(「you have died of dysentery」)という悪名高いフレーズによって、このゲームの評価を決定づけたという点だけでなく、ブシャール氏がこのシステムを再設計した理由においても重要でした。

「私がデザインに取り組んでいた当時、アメリカでは『The Oregon Trail』での死のほとんどは、ネイティブアメリカンの襲撃によるものという通説が一般的でした」と彼は言います。 「実際、ネイティブアメリカンが陸路の旅行者を襲うことは極めてまれでした。 道中での死のほとんどは、病気や事故が原因だったのです。 これは長距離移動の体験の核となる側面であったため、これをゲームの主要な機能にしなくてはならないと思いました」

ブシャール氏は、『The Oregon Trail』の開発について「MECCがこれまでに作ってきたものとはまったく異なる」と述べています。 しかし、全体的に困難で、時にはストレスを感じることもありましたが、開発は「才能あるチームとの共同作業で非常に楽しい経験」だったと彼は言います。 プロジェクトが直面した最大の課題は、ブシャール氏の数多くあるゲームプレイのアイデアの中からどれを最終製品に反映させるかを決めることであり、最終的に、予定されていた多くの機能がカットされました。 たとえば、ゲームの最終区間では、2つの異なるプレイ方法が用意されており、プレイヤーはコロンビア川をラフティングで下るか、バーロウ・トール・ロードと呼ばれる曲がりくねった山道を行くかを選択できることになっていました。

「バーロウ・ロードのゲームは、ロープやレバー、滑車を使って馬車を持ち上げ、バーロウ・ロードの最も急な部分を乗り越えさせるパズルアクティビティとなるはずでした。実際に旅した人たちがしなくてはならなかったことに対応しています」とブシャール氏は説明します。 しかし、このアイデアはディスク容量不足のために断念することになりました。 ほかに廃止された機能には、旅に家畜を連れて行くオプションや、プレイヤーが道中のノンプレイヤーキャラクターを支援できる「善きサマリア人」アクティビティなどがありました。

『The Oregon Trail』は1985年の7月にリリースされました。 ブシャール氏は、プロジェクトが完了したことに「安心」し、テストでの好意的なフィードバックに「興奮」していました。 「この製品は、それまでにリリースされたどのMECC製品と比較しても遜色のない出来だと確信していました」と彼は言います。 「結局のところ、実際の結果は私たちの予想をはるかに上回るものになりました」

ブシャール氏によると、『The Oregon Trail』がヒットしたことは「数か月以内」に明らかになったそうです。 実際、新しいバージョンの出来は非常に良く、学校は騒然となりました。 「11月に開催されたMECCの年次全国カンファレンスでは、MECCが家庭市場では新バージョンを販売しながら、学校には旧バージョンを送り続けていたため、教師たちが反発しました」と彼は言います。しかし、この問題はすぐに解決しました。 「翌年の春には、『The Oregon Trail』が北米のほとんどの学校で見られるようになっていることがわかったのです」

インパクトを残す

Apple II版の『The Oregon Trail』は教育用コンピューターソフトウェアの革命であり、アメリカの学校内だけでなく、家庭用コンピューター市場でも大きな成功を収めました。 これにより、MECCの「10年間の黄金時代」の幕開けとなりましたが、この黄金時代は、Softkeyに3億7,000万ドルで売却されたときに幕を閉じました。 そして、このゲームでの成功によってブシャール氏はお金持ちになったわけではありませんが(彼は株式も、販売による利益も一切受け取っていません)、業界内での彼の評判は確固たるものとなりました。 「『The Oregon Trail』に携わっていたため、仕事を見つけるのは比較的簡単でした」と彼は言います。

ブシャール氏は、このゲームがアメリカの学校に残した遺産、つまり本作が「自分たちの力で生活を良くするためなら、多大な苦難も厭わなかった30万人の普通の人々の物語」をどのように表現したのかを誇りに思っています。 しかし、彼は『The Oregon Trail』の遺産にある「ひとつの注目すべき欠点」を、見て見ぬふりしようともしません。 「西部開拓はアメリカ史の重要な一章であることに変わりはありませんが、開拓に参加した人々の視点からのみ物語が語られるべきではないとのコンセンサスが高まっています」と彼は言います。

『The Oregon Trail』の当初の計画では、ブシャール氏はネイティブアメリカンによる旅人への襲撃に関する通説をただ払拭するだけではなく、さらに踏み込んだことをしたいと思っていました。 彼はゲームそのものの中で、ネイティブアメリカンを代表することを望んでいたのです。

「ゲームプレイとして機能しながら、理解を深めるのに役立つような方法で、ルートに沿ってネイティブアメリカンと交流する機会をプレイヤーにもっと提供するにはどうすればいいのかと苦労しました」 アイデアには、「平和的でビジネスライクな交流を実証する」ネイティブアメリカンとの「物々交換」をできるようにすることや、旅の前半に「平和的に解決できるいくつかの緊迫した交流」の計画がありました。

ブシャール氏は実際の歴史に基づいた例を挙げています。 「ネイティブアメリカンが道沿いの小川に簡単な丸太の橋を架け、旅人たちに小額の通行料金を課して利用させるというコンセプトがありました」と彼は言います。 「実際の歴史では、旅人たちが橋を無料で使わせろと要求することも時にはあり、橋の所有者であるネイティブアメリカンを虐殺したこともありました」
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最終的に、ブシャール氏はこのような交流を含めるには「問題が多すぎる」と判断しました。「誤解や誤用が起こりやすい」と感じたのです。 実際、本作の旅人という視点は、ブシャール氏にとっては厳しい制限であり、何とかできるものではありませんでした。 「ゲーム内のすべてのアクティビティは、西へと旅する人々が経験したものに対応している必要がありました」 また、ハードウェアの制限も決断に影響を与えました。 ブシャール氏が本作に対して持っていたほかの多くのアイデアと同様、ネイティブアメリカンの人々とのより微妙な交流は廃止となりましたが、彼の次回作となる教育ゲームである1991年の『Lewis and Clark Stayed Home』では、再びこのアイデアに戻ることになりました。

しかし、本作が『The Oregon Trail』の最も有名なバージョンであることに変わりはありませんが、ブシャール氏の1985年のリメイク版は、インディペンデンスからオレゴンシティまでの旅を描き出したひとつ前のバージョンのゲームとはほど遠いものでした。 1995年から2001年にかけて、MECCの新しいオーナーであるSoftkey/The Learning Companyによって複数の続編が生み出されました。 2000年代後半、『The Oregon Trail』のライセンスはHarperCollinsによって取得され、Gameloftとの共同でモバイル向けに本作の新バージョンが制作されました。 しかし、これらのゲームはいずれも、ブシャール氏が苦労してきた表現の問題を真剣に問うものではありませんでした。

しかし最近、Gameloftが『The Oregon Trail』の専用のリメイク版を開発し、2021年にApple Arcadeでリリースされ、今月Epic Gamesに登場します。 1985年のゲームと同様、このリメイク版の優先事項は、オリジナルの精神を守りながら、ゲームを現代のプレイヤーのためにアップデートすることです。
これは複数の層から成っており、そのひとつは当然、ビジュアルのアップデートとなります。 Gameloftのリメイク版では、2Dのピクセルアートと、3Dの環境およびエフェクトが組み合わされています。 「天候システム、水の反射、レンズフレア、薄明光線、スプライトの鏡面光を確認できるでしょう」と語るのは、『The Oregon Trail』のアートディレクター、リズ・バランタイン氏です。 「懐かしさと現代感を同時に感じられる、実に印象的なスタイルです」

同様に、Gameloftはゲームの根本的なデザインにいくつか調整を加えました。 「1985年にリリースされたゲームは、基本的に4つか5つのことをするだけでマスターできます」とバランタイン氏は言います。 「難易度も1985年なら問題ありませんでしたが、現代では通用しないでしょう」 Gameloftはリメイク版で、「プレイヤーの選択がパーティーと今後のゲームイベントに影響を与える、プロシージャルに選択されたランダムイベント」を導入しました。 一方、4人のキャラクターにはそれぞれ、「良くも悪くも、[性格の]特徴の組み合わせが独自にあります。 これらに基づいて、あなたのパーティーのユニークな結果を発見できるかもしれません」

しかし、Gameloftが行った最も大きな変更は、歴史的な表現へのアプローチです。 「シリーズ史上初めて、先住民族や黒人のキャラクターが、プレイアブルパーティーと、旅の途中で出会う人々の両方に登場します」とバランタイン氏は言います。

Gameloftの『The Oregon Trail』の表現へのアプローチは、重層的であり、歴史的研究に基づいたものになります。 バランタイン氏は、スタジオが「ネイティブアメリカンの歴史家3名に相談し、バーチャル上の人物の見た目、ストーリー展開、話し方、音楽、役割などのデザインの参考にした」と説明します。 スタジオはそこに、『The Oregon Trail』に沿った旅の実用性を想定した、独自のテキスト調査を組み合わせました。 「たとえば、先住民族の女性[キャラクター]のひとりは、長くて美しいイヤリングをしていましたが、ルートの風の強さを考えると、実用的ではありません」

この研究がどのようにプレイに反映されるかというと、『The Oregon Trail』では、19世紀の作家であり先住民族の権利を主張する活動家であるサラ・ウィネマッカなど、実在の人物に基づいた多くのキャラクターとしてプレイしたり、彼らに遭遇したりできるのです。 「[サラは]英語で出版された最初のネイティブアメリカンの女性作家です」とバランタイン氏は言います。 さらに、本作にはタイトルになっているルートにとどまらない旅や物語も含まれており、中には先住民族のキャラクターを追ったものもあります。 「そのひとつは、ポーニー族の母、Stee-lahとその息子、Little Chiefが冬の狩猟に向かうというものです」とバランタイン氏は言います。 「もうひとつは、行方不明の親戚を探すLenape Halfmoon一家の旅を描き出しています」

その大まかな目的は、当時のアメリカ西部に住んでいた先住民族の生活を描くことです。 しかし、Gameloftのリメイク版は、西部開拓がネイティブアメリカンの生活や文化に与えた悪影響や、シリーズがこれまでそれを表現できていなかったことを無視してもいません。 「この新しいバージョンのゲームは、『The Oregon Trail』のそれまでのバージョンでは、ネイティブアメリカンの視点や文化が描かれていなかったことを認めるメッセージで始まります」とバランタイン氏は言います。

『The Oregon Trail』の歴史の表現は完璧ではないかもしれませんし、完璧になることもないでしょう。 しかし、教育ゲームが教えられる最も重要なことは、学びに終わりはないということ、発見すべき新しい事実、見るべき新しい視点、聞くべき新しい声が常にあるということでしょう。 さまざまなリメイクや再考を通して、『The Oregon Trail』は教えながらも、学び続ける能力を示してきました。 本作は、西部開拓に参加した人々が直面した危険について生徒に教える方法として始まりました。 しかし今、Gameloftのリメイク版の冒頭のメッセージは次のようになっています。

「先住民族の人々にとっては、西部開拓は冒険ではなく侵略でした」