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歴史は紡がれ続ける。「QuakeCon」が復活

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Matt Paprocki
2023年8月10日
新型コロナウイルスの時代を除けば、テキサスで開催されている「QuakeCon」は26年間続いており、1990年代半ばにインターネットのチャットルームから誕生したものとしては、異例の長さを誇っています。 id Softwareのシューターのファン30人が実際に会うことを決め、1996年の8月に、テキサスのガーランドにあるベストウェスタンホテルに即座に集結。 週末の終わりには、その数は100人にまで増えていました。 翌年は650人に。 現在はダラスで開催されている「QuakeCon」の参加者は、毎年1万人にも上り、その多くは昔からの参加者です。 

1996年当時のオンラインゲームとチャットルームがどのようなものであったかを考えれば、この集まりが意味するところの大きさが分かります。 AOLのディスクがまだレジの棚に並んでおり、ブロードバンドも遠い夢でした。ダイヤルアップ接続でロケット弾を友達に飛ばせば、お母さんが電話を使えなくなりました。 黎明期のオンラインゲームを悩ませた様々な問題から離れてLANパーティーを開催することは当時、理にかなっていたのです。 「当時、高速インターネットがなかった私たちにとって、フレンドとマルチプレイヤーゲームをプレイする唯一の方法は、LANパーティーへの参加でした。 「QuakeCon」は、たまたま北米最大のLANだったというわけです」とメールで語るのは、「QuakeCon」の常連であるジェイコブ・ブーヴレット氏です。

1996年には『Quake』の開発チームがサプライズで登場しましたが(ジョン・カーマック主催のパネルも毎年開催され、2013年まで続きました)、idがイベントのスポンサーになるほどの注目を集めたのは1999年になってからでした。 (「QuakeCon」を模倣したお粗末なイベントが開催された1998年の翌年のことでした。) 1999年にはActivision、AMDといったスポンサーによって本イベントが持続可能なモデルを見つけ出すことに成功。新世紀に向けて弾みをつけました。 その年、idはデスマッチ大会を通じて『Quake 3』をいち早くファンにお披露目。

2002年にはイベントが再び拡大し、idは単なるスポンサーにとどまらずより深い役割を担い、開発者がボランティアチームと協力して「QuakeCon」の企画に携わるようになりました。 LANゲームの域を超えて、本イベントにはブリトニー・スピアーズの映画『ノット・ア・ガール』をこき下ろす「Mister Sinus Theater」(カルト映画をバカにする番組「Mystery Science Theater」の名前をパロディ)も登場。 これは後に名前が「Master Pancake」へと変更されますが、「QuakeCon」の定番となりました。 「休憩時間に行われる寸劇はいつも大爆笑で、なかでも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の寸劇は「QuakeCon」でも一番印象に残っています」と参加者のケン・コナシェフスキー氏は語ります。

より大きい会場に変更することで、コンサートやトーナメント優勝者への高額な賞金など、さらなる拡大が可能になりました。 最初の年は、数人がTシャツをもらって帰りました。 しかし2004年には、優勝者は15万ドルを手にしたのです。 かつて、ハードコア層のなかでも最もハードコアな人たちに直接グッズを販売していた物販スペースは、25万平方フィートもの市場に膨れ上がり、idグッズで埋め尽くされました。

成長は続きました。 新型コロナウイルスの流行前は、「QuakeCon」のお決まりの開催地はゲイロード・テキサス・コンベンション・センターでした。そこに大勢の参加者が集結し、8月10日から8月13日まで開催されます。 しかし、なぜでしょうか? 私たちが話をうかがったファンと参加者の皆さんは、変わったものも含めて、それぞれ異なるストーリーを持っていました。

 「私が所属しているゲームグループはBYOC(パソコン持ち込み)ルームで、シャツを脱いで『Quake Live』をプレイし、ちょっとワイルドでクレイジーになります」と、ブーヴレット氏は振り返ります。 「ある年の「QuakeCon」で、id Softwareの当時のCEO、トッド・ホレンシェッド氏がBYOCを歩いていました。そして私たちがシャツを脱いで『Quake』をプレイしているのを見て、いったい何をしているのかと疑問に思ったようでした。 私たちは彼に向かって、自分のシャツを引き裂いて一緒に『Quake』をプレイしようと叫びました。 次の瞬間、そこには大勢の仲間たちが一緒に楽しんでいる姿がありました。id SoftwareのCEOも、シャツを脱いで私たちと一緒に敵を次々と倒していたのです」

参加者の一人、ケリー・ラナハン氏は、奇妙なシチュエーションで生涯の友人ができたとメールで話してくれました。「ヒルトン・アナトールの芝生で結婚するから、BYOCの席を確保して自分たちのコンピューターを見ていてくれないかと知らないカップルに頼まれたんです。 それ以来、その二人とは友人でいます」

そもそも、遠征する理由がなければこのような話は生まれません。そしてそのきっかけは、それまでの人生の中で出会ったほかの人ということもあります。 「QuakeCon」に参加して23年目になるステファニー・プレスリー氏の場合、ショーに参加してみるよう説得してくれたのは、彼女の大切な人でした。 「何も知りませんでした」と彼女はメールで語ります。 「でも、実際に行ってみると観客が300人くらいいて、温かい雰囲気で迎え入れてくれました。 何をすればいいのか分からなかったけど、友達もできて、たくさんの人に出会えました。 直接会うのは年に一度だけですが、彼らは20年以上も私の人生に居続けています」

私たちが話をうかがった人たちはそれぞれのストーリーを聞かせてくれましたが、みんな決まって、このイベントの参加者たちを称賛していました。 観客の話ばかりなのです。 「そこにいると我を忘れてしまうほどです。友達に会って、週末を『愛と平和とロケット』とともに過ごすのです」とプレスリー氏は言います。 (このキャッチフレーズはイベント公式のものではありません。)

ラナハン氏は、本イベントを「オタク界のロラパルーザ」であると言い、2012年に初めて参加して以来、彼女はそこでできた友達に会おうと毎年足を運んでいます。 「そのうち何人かは、私にとって家族と同じくらい大切な存在になってます」とラナハン氏は語ります。 「仕事、金銭的な問題、旅行中の滞在先など、私の私生活を支えてもらったこともあります。 「QuakeCon」で築いた友情は、私の人生のなかでとても大事な関係です」

コナシェフスキー氏は「Always 2 Manly」というグループに所属し、真夜中にシャツを脱ぎ捨てて『Quake Live』をプレイしています。 コナシェフスキー氏は、「Always 2 Manly」は「大会の魂」であると面白いことを言いました。 そのグループにとって、「QuakeCon」は現代の世界における異質な存在で、友人が同じ場所に集まって楽しむことができる場所なのです。 「ファンタジーフットボールのドラフトのために、10人の友達を集めようとしてみたことがありますか? 私たちのグループでは、毎年65人から75人がイベントに参加します」

10年来の参加者であるトレヴィン・ヴェルドゥスコ氏は、「QuakeCon Wiener King」というキャラクターに扮して(つまり、ホットドッグのコスチュームを着用して)登場しますが、そんな彼曰く、このイベントの雰囲気はほかとは違うそうです。「美化されたトレードショーのようなほかのコンベンションとは異なり、「QuakeCon」は週末の長いパーティーのように感じられます」

ブーヴレット氏は、参加をためらってるかもしれない人たちに最後の売り込みを行って説得を試みます。「休暇を取る機会があって、同じ志を持った熱狂的なファンたちと交流したいなら、夏の終わりにダラスで開催される「QuakeCon」しかありません。 外は焼けるほど暑いですが、空調の効いた室内ならあなたのPCがとっても快適に動いてくれます!」 こうして、彼はこのイベントの変わらぬ魅力を簡単にまとめました。繰り返しにはなりますが、「QuakeCon」は人々がすべてなのです。

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