
西洋最速のシューター『Tribes』が歩んできた歴史

スコット・ヤングブラッド氏がDynamixのオフィスで働いていると、ソフトウェアエンジニアのデヴィッド・ムーア氏に声をかけられました。 1997年の オレゴン州ユージーン市でのことです。
ムーア氏はDynamixの新しい一人称視点シューターのプロジェクト(『Quake』がリリースされるまでは「Doom Killer」と呼ばれていました)でプレイヤーの物理演算に改良を加えていました。 「私のオフィスに入ってきて、こう言ったんです。『物理演算に取り組んでいてバグを見つけたんだけど、 どうしていいか分からないから君に見せたいんだ』って」とヤングプラッド氏は語ります。
興味をそそられたヤングブラッド氏は、ムーア氏のオフィスについていき、そこにある椅子に座り、プログラマーであるムーア氏に不具合の再現方法を見せてもらいました。 ジェットパックが登場するこのSFシューターのゲームで、ムーア氏はヤングブラッド氏に丘の頂上を飛び越え、下り坂に差し掛かったらスペースバーを連打するよう指示しました。
「ジェットを噴射して、スペースバーをタップし始めると自分のキャラクターが斜面の横を滑り降りました。その仕組みを使うことで、通常よりも速く勢いをつけられました」とヤングブラッド氏。
当時、ヤングブラッド氏はスキーに熱心で、Dynamixを説得して、最終的に『Front Page Sports: Ski Racing』となったスキーゲームを作ったほどでした。 その斜面を滑り降りていく自分のキャラクターを見たとき、彼はすべてが変わったと感じたのです。 「次の丘に到達するまでには、すべてを十分に把握していました。 そこで、『修正はしないでおこう。 これは、私がこれからマップをデザインする方法を変えることになるだろうね』と言いました」

この「うれしい偶然」こそが、史上最速のマルチプレイヤーシューター『Tribes』が誕生した瞬間でした。 しかし、シリーズの第1作『Starsiege: Tribes』は、単に速いだけではありませんでした。 アメリカで1998年12月にリリースされたDynamixのシューターは、マルチプレイヤーゲームのライバルたちを大きく引き離しました。
『Starsiege: Tribes』は、『Quake 3』や『Unreal Tournament』よりも丸1年早く発売されたチームベースのマルチプレイ専用シューターであるだけでなく、ジェットパックやスキーのような動きを取り入れたことで、市販されている他のゲームとは一線を画すプレイが可能だったのです。 プレイヤーはこれらのツールを駆使して、勢いをつけて広大なマップを縦横無尽に駆け巡ることができました。あまりの速さで戦うため、敵を攻撃する際には先のことも見据える必要があることを意味しました。
このゲームに馴染んだ人にとって、他のマルチプレイヤーシューターは比較になりません。 しかし、その独創性と革新性にもかかわらず、『Tribes』は『Counter-Strike』は言うまでもなく、『Quake』や『Unreal Tournament』といった他のマルチプレイヤーシューターのように栄華を極めることはありませんでした。 一見したところ、『Tribes』はマルチプレイヤーFPSシーンで不動の地位を確立するのが当然かのように思われますが、実際は、開発会社やパブリッシャーが幾度となく変わり、ゲームとゲームの間に10年もの空白期間が生じることもあったのです。
その理由は、見当違いの設計上の決断から、ゲーム内のチームと同じように派閥化したコミュニティまで、数多くの要因が絡んでいます。 しかし、その根底には、「『Tribes』の傑出した特徴を開発するのが、なぜこれほどまでに難しいのか?」というひとつの根本的な疑問があります。
Fear(恐怖)チーム
1990年代に作られた多くのシューターがそうであったように、『Tribes』はもまた、急速に変化する市場に対応するために必死になって開発されました。当時は、新しいシューターがリリースされるたびに、技術やゲームデザインがさらに大きく飛躍しているように見えました。 『Starsiege: Tribes』と同じエンジンを使っているものの、それ以外はまったく関連性のないスキーゲームを完成させた後、ヤングブラッド氏はDynamixの社長であるジェフリー・タンネル氏から、このプロジェクトのリードデザイナーにならないかと誘いを受けました。
「Fearチームと呼ばれていたんですよ」とヤングブラッド氏は当時を振り返ります。 「その時まで、このプロジェクトには関わりがありませんでした」
それでもなお、ヤングブラッド氏はFearチームに加わることに胸を躍らせました。 実際、彼はゲーム開発全般に興奮を覚えていました。 その数年前、オレゴン大学でコンピューターサイエンスの学位取得を目指していたヤングブラッド氏は、Dynamixから連絡を受け、同社が何をする会社なのか知らなかったにもかかわらず面接に応じました。
「仕事を始めた当時は、社員は25人でした」とヤングブラッド氏。 「初めての全社会議で、社員が台車を運んできたんですが、そこにはビールしか[積んで]なかったんですよ。 誰もが両手でがっつきました。 『これぞ究極の会社』って感じでしたね」

ヤングブラッド氏がFearチームに加わったとき、ゲームは「ほとんど技術的」だったといいます。 また、Dynamixが1994年の『Metaltech: Earthsiege』のために構想を練っていた『Starsiege』の世界を舞台に、シングルプレイヤーキャンペーンとマルチプレイヤーの両方をフィーチャーした、より単純明快なシューターとして企画されていました。
そこに、面白い運命のいたずらが起こりました。 ヤングブラッド氏は、『Tribes』のプログラマーであるマーク・フロンマイヤー氏と共に1997年のRed Annihilation Quakeトーナメントで競うためにアトランタへと向かいました。このトーナメントでは、デニス・"Thresh"・フォング氏がジョン・カーマック氏のフェラーリを勝ち取りました。
「彼が他のプレイヤーとは違う方法でロケットジャンプを使うのを見て、『嘘だろ!』って思いましたよ」とヤングブラッド氏。 「私が考えてもいなかった自由度がありましたからね。 そこで、自分たちだったらどんなものになるだろうか?と考え、 それでジェットパックになったんです」
ジェットパックが取り入れられると、そこから先はすべてがうまくまとまりました。 スキーのバグが発見されたとき、プレイヤーの動きを最大限に生かすため、マップは地形ベースにすることが決まりました。 「そのおかげで、当時の他のゲームとは一線を画すことができました」とヤングブラッド氏は話します。 「それまでに登場した他のシューターは、すべて室内ベースだったんですよ」
『Tribes』に登場する、ディスクを発射する象徴的なSpinfusorは、伝統的なロケットランチャーをアレンジしたものです。 「打撃は強いものの、移動速度は比較的遅く、来るのが見えてかわすことができるようなものが必要だったんです」とヤングブラッド氏は説明します。
ヤングブラッド氏は『Tribes』の仕事がとても気に入っていましたが、完成させることは大変な仕事でした。 「妻は自分のことを『Tribes』未亡人と呼んでいましたよ」とヤングブラッド氏。 「私はオフィスに行くと、夜の10時か11時まで働きます。 夜に、当時手頃なギガバイトドライブだったJazドライブに最新のビルドを入れるんです。それを家に持ち帰り、寝るまで作業を続けたものです」
Dynamixのマーケティング部門がシングルプレイヤーキャンペーンをやめることを提案すると、若干の猶予が与えられ、ヤングブラッド氏もこの考えに同意しました。 「あまり良くは見えなかったんです。 私たちが構築したエンジンは、皆が慣れ親しんできたシングルプレイヤーのレベルをサポートしていませんでした。 丸い穴に四角い釘をはめようとしていたようなものですね」
それでもヤングブラッド氏は、自分たちが素晴らしいゲームを作っていると確信していました。 「[会社の]みんなにプレイするのをやめるよう言う必要がありました。 就業時間は『Tribes』をプレイするなって」とヤングブラッド氏は語ります。
E3でのデビューの際、『Tribes』はSierra社のブースの一部として展示され、そのキオスクは、Valveという新しい会社が開発中のゲームの横に置かれました。 「みんな『HALF-LIFE』を見にきて、そこで『Tribes』のキオスクで起きている騒ぎを見聞きして、こっちに移動してきてプレイするという感じでした。 最高でしたね」とヤングブラッド氏は振り返ります。

1998年12月のリリース時には、『Starsiege: Tribes』はかなりの支持を得ていました。 しかし、商業的な業績はそれを反映しませんでした。 その理由は簡単です。『Starsiege: Tribes』はその時代で最も海賊版が多かったゲームの1つだからです。
「コピー防止機能は全くつけませんでした。それもわざとです」とヤングブラッド氏は、このゲームの商業的な不振を驚くほど気にしていないかのように話します。 「どちらにしろ2作目に取り掛かるだろうと思っていたんですよ。十分話題になっていましたから」
進化する『Tribes』
実際『Starsiege: Tribes』から3年後に続編がリリースされ、20万本を売り、商業的にも成功しました。 しかし、前作とはまったく異なる感触のゲームでもあり、これについてヤングブラッド氏は、会社の変化も反映していたと話します。
「取り組む姿勢が違っていました。 『Tribes 1』では、誰にも残業を頼むことは全くありませんでした。 ところが『Tribes 2』では、それが必須になりました。 それで多くの人が燃え尽きてしまったんです」 『Tribes 2』の開発が始まって10か月後、ヤングブラッド氏はDynamixを退社しました。
この感触の違いは、観客層の分断にもつながり、プレイヤー層は『Starsiege: Tribes』ファンと『Tribes 2』ファンに二極化しました。 「『Tribes 2』の感触には不満がありました。 私もその中の一人だったんです」と話すのは、『Tribes』の第4作『Tribes: Vengeance』のシニアゲームデザイナーを務めるマイケル・ジョンストン氏。 「『Tribes 2』は遅くてやぼったく感じました。 物理とグラフィックの組み合わせですね」
ジョンストン氏の『Tribes』との関係は、2000年代に入ってから、Imperial Eliteと呼ばれるチームの一員として「プロとして」競い合ったオリジナルのゲームにまで遡ります。 「Tribes Galaと呼ばれる大規模なトーナメントが2000年にあり、勝ち残ったチームはサンノゼに飛んで、1万ドルの賞金をかけてステージで競い合うというものでした。 私たちのチームは、最終的にそのトーナメントで優勝したんです」とジョンストン氏は語ります。

ジョンストン氏のゲームプレイのキャリアはMOD制作に移行し、最終的にSierraに招かれて『Tribes 2』のMODを制作し、ゲームの感触を修正しようと「多くの作業を行った」と言います。 「単に物理的なパラメーターを調整しただけではありません。 スケールとスピードの認識を変えるためにアートワークを変えたんです。解決するには非常に複雑な問題だったので」
このMODに感銘を受けたSierraは、ジョンストン氏を当時シリーズの次のPCゲーム『Tribes: Vengeance』を開発する契約を結んだばかりのIrrational Gamesに接触させました。 このゲームに携わるため、ジョンストン氏は生まれ故郷のカナダからオーストラリアに移る必要がありました。『Vengeance』の制作は、スーパーヒーローRPG『Freedom Force』の制作を終えたばかりのIrrational Canberraが担当していたからです。
Irrationalの共同設立者であるジョン・チェイ氏は、「私たちはチームが携わる新しいプロジェクトを探していました」と振り返ります。 「[Sierraには]『Tribes』シリーズの熱狂的なファンが何人もいて、経験豊富なFPSチームに引き継いでもらうことを望んでいたんです」 Irrationalは『System Shock 2』で知られ、ボストン支社は当時『SWAT 4』に取り組んでいたものの、キャンベラのチームは「その段階ではFPSの開発はあまりやっていませんでした」とチェイ氏は述べています。
パブリッシャーが『Vengeance』の制作に課した条件のひとつは、シングルプレイヤーキャンペーンを盛り込むことでした。 「Sierraの指令はこうでした。『新規プレイヤーを取り込みたいから強力なシングルプレイヤーゲームが欲しい』」と語るのは、『Tribes: Vengeance』でリードデザイナーを務めるエド・オーマン氏。 「でも同時に、ゲームを大幅に変えることも許されなかったんです。 おまけに、『Tribes 1』と『Tribes 2』の間にはすでに、唯一の真の『Tribes』を守ろうとするすさまじいグループも存在していたんですよ」

Dynamixが学んだように、『Tribes』のシングルプレイヤーキャンペーンを作るのは大きな挑戦でした。『Tribes』のような動きをするゲームには、従来のFPSのレベルデザインは単純に通用しないからです。 この問題を解決するため、Irrational Canberraは各レベルを基本的に、オープンワールドゲームのミニチュア版にすることを決定しました。
「私たちがレベルデザインについて知っていることの多くを取り除かなければなりませんでした。プレイヤーに辿り着いてもらう場所を配置し、どの方向からでもそこに近づくことができるようにすると、それに対応できる敵や防衛が必要になるんです」とオーマン氏は説明します。 「そして、その防衛を突破し、基地の中に入らなくてはいけないというのがプレイヤーの考えになります」
これらの基地の内部は、デザインという観点から大きな課題のひとつとなりました。 「私たちは、スキーシステムである程度の勢いを維持できる斜面がある、基地の内部構造を開発しなくてはなりませんでした」と、『Vengeance』のリードアーティスト、アンドリュー・ジェームズ氏は言います。 「壁で跳ね返ると、スケートパークのボウルのような動きで再び上に上がれたのです」
つまり、各ステージは実際には2つのステージに分かれており、外側と内側のマップがあるということです。 「それは計画に入れていませんでした。 それが大きな問題になったことを覚えています。『しまった、思ったよりも仕事が倍になるぞ』といった感じです」とオーマン氏は付け加えます。

シングルプレイヤーのストーリーは、『Tribes』の広範な伝承の中で、数十年の歴史にわたって複数のキャラクターをプレイし、時間を飛び越えながら冒険するというものでした。 「クールだったのは、[出来事の]再文脈化を図れる点です」とオーマン氏は言います。 「この人物はなぜ突然母を暗殺したのだろうか、といった疑問の真相を知ることになります。それは、彼が過去にひどい形で裏切られたからなのです」
この形式は、ニール・スティーヴンスンの作品『クリプトノミコン』から大きな影響を受けており、オーマン氏によると、本作は、彼自身と物語の脚本家であるケン・レヴィン氏の両方に多大な影響を与えているそうです。
『Vengeance』のシングルプレイヤー用キャンペーンは、そのストーリーテリングの試みが高く評価されました。 しかし、ジョンストン氏によれば、シングルプレイの存在そのものが、プロジェクト全体に問題を引き起こしたそうです。
「ただでさえ少なかったゲームの予算のほとんどが、シングルプレイに費やされることになったのです」と彼は言います。 「当時でさえ、『ったく、なんでマルチプレイの制作にあたってるのが、チームで自分だけなんだ?』と感じていたのを覚えています」
つまり、『Vengeance』が『Tribes』のマルチプレイを革新できるキャパシティは、限られていたということになります。 プレイヤーにキャプチャー・ザ・フラッグ(CTF)から離れてもらうために、プレイヤーがゲームモードのルールを組み合わせられる「ユニファイド・ゲームモード」と呼ぶアイデアがジョンストン氏にはありました。

「CTFが『Tribes』にとって楽しいゲームモードになっているという事実が、妨げになっているのです」とジョンストン氏は言います。 「協力的ではなく、広大で、ゲーム設定にそぐわない… そのため、CTFの限界を押し広げようとすることに関心がありました」 しかし、残念なことに「結局、どれもうまくいかなかった」そうです。 『Vengeance』は最終的に、「CTFを時間が許す限り良いものにする」という方針で、限定されたゲームモードとともに世に送り出されることになりました。
『Tribes: Vengeance』は、2004年10月にリリースされました。 批評家からはおおむね好評でしたが、商業的には苦戦を強いられ、リリースからまもなくして、Vivendiはサポートを打ち切りました。 「残念ながら、『Tribes: Vengeance』は市場の期待に応えることができませんでした」と、チェイ氏は説明します。 「純粋なシングルプレイヤーゲームか、純粋なマルチプレイヤーシューターのどちらかに振り切ることができたら… そう思います。 今は、ゲームはどちらか一方に集中すべきということが、よりよく理解されているはずです」
Hi-Rezと『Tribes』
『Tribes: Vengeance』の不本意な売り上げのあと、同シリーズはさらに8年間も休止状態に入りました。 そして2010年頃、アルファレッタを拠点とするデベロッパー、Hi-Rez Studiosが『Tribes』のライセンスを買い取りました。
スタジオとしてHi-Rezは、迅速なアプリケーション開発(RAD)と呼ばれるプロセスで、マルチプレイヤーゲームの制作に注力していました。 「スタジオではいつも実験が行われていました」と、Hi-Rez Studiosでゲームプレイを統括していたミック・ラーキンス氏は言います。 「私たちの主要なアプローチは、すぐに発表し、実験することです」
『Tribes: Ascend』では、Hi-Rezは特に、基本プレイ無料モデルを実験したいと考えていました。プレイヤーが自由にアクセスできれば、多くの人に『Tribes』を知ってもらえると考えたのです。

動きといったゲームの基本となる部分は、Irrationalが『Tribes: Vengeance』で行った仕事に大きな影響を受けており、その全体的なデザインは4本の重要な柱を軸に構成されています。A地点からB地点への移動は楽しい体験でなくてはならず、発射武器によるスキルショットが推奨され、風景は魅力的であり、マルチプレイ限定というものです。
Hi-Rezはまた、『Tribes』を愛する人たちがそう信じているように、『Ascend』が大ヒット作になることを望んでおり、それは、既存のコミュニティを見捨てることなく、ゲームをみんなに遊んでもらうという難しい綱渡りに挑戦することも意味していました。
そのため、Hi-Rezは過去の『Tribes』から、変更を2つ加えました。 まず、マップは主に屋外となるようにデザインし、これまでの『Tribes』シリーズに見られた複雑な内装を削除しました。 そして、ヒットスキャン(発射した直後にダメージ判定が入る)の武器をもっと増やし、より瞬間的な選択肢を戦闘に用意しました。
「戦闘中にジェットパックやスキーによる見事なバレエダンスを披露しながら、時間をかけてキルするのは、成功した時は本当に最高です。 しかし、多くのプレイヤーにとってそれは難易度が高すぎます」と、ラーキンス氏は説明します。
『Tribes: Ascend』が2012年の2月にリリースされると、最初はヒットを記録しました。 「今でも、私たちがこれまでに作ってきたゲームの中で、最も評価が高いのではないでしょうか」とラーキンス氏は言います。 しかし、プレイヤーを獲得するのに一役を買った基本プレイ無料モデルが、ゲームの破滅の要因になりました。

「今思うと、このタイプのゲームにとって、ベストな判断ではありませんでした」とラーキンス氏は言います。 「私たちは、より多くの銃をアンロックし、さまざまな銃による多彩なプレイを楽しんでもらうことで、プレイヤーがゲームプレイを有意義なものにしてくれると考えていました」 しかし、Hi-Rezは、武器の進化を満足のいくものにできるほど、銃に対して十分な差別化を図ることができませんでした。 「SpinfusorやChain Gunといった武器があれば、それらのバリエーションがあっても、プレイ体験に根本的な違いがもたらされないのです」とラーキンス氏は指摘します。
プレイヤー数は着実に減少し、2013年7月には、Hi-Rezにとって、『Tribes: Ascend』の開発を続けることは経済的な意味をなさなくなりました。 2015年に本作の復活が試みられましたが、その復活は短命に終わり、2016年9月に最後のアップデートが行われました。
Tribes 3: Rivals
しかし、結局のところ、少なくともある意味では、Hi-Rezによる『Tribes』はそれで終わりではありませんでした。 2019年、Hi-Rezは姉妹スタジオのProphecy Gamesを設立します。もともと、Hi-Rez自身の基盤となっていたRADのルーツに立ち返ることが目的です。 そのデビュータイトルは、『Tribes』に回帰し、『Tribes 2』の直接の続編にあたるもの。そう、最近リリースされた『Tribes 3: Rivals』です。
『Rivals』でProphecyは、『Tribes』の公式の「濃密化」を目指し、クラシックな移動とガンプレイが健在ながらも、少人数のチーム、厳選された武器、小規模なマップとなるようにデザインしました。 「128人による対戦はやめました。プレイヤーは、マップ上で違いを生み出せる小規模なクルーを好むためです」 それでもラーキンス氏は、マップは前ほど広くないものの、依然として「狭くはない」と強調します。

『Ascend』と同じく、『Rivals』は「積極的なアルファテストとベータテスト」を経て急速に開発されてきました。 『Ascend』とは異なり、コミュニティを巻き込む狙いのため、『Rivals』は早期アクセスゲームとしてリリースされました。Prophecy Gamesは、プレイヤーが『Tribes』に実際に求めているものを探ろうとしているのです。
「たとえば、私たちが何度もテストしてきたことのひとつは、『このゲームにはいくつぐらいのゲームモードを搭載すべきか?』です」と語るラーキンス氏。「パッチを当てる過程で、新しいゲームモードを導入し、実験しては廃止し、復活させてきました」 さらに、Prophecyは「カスタムゲームでできるだけ多くのことを公開し、特定の要素を調整したいプレイヤーがそうできるようにしたい」と考えているそうです。
『Rivals』の早期アクセスのロードマップには、新しいマップや武器といった、期待される典型的なアップデートがすべて含まれています(ただし、『Ascend』にあったような、いくつものわずかな武器バリエーションが登場することはないとラーキンス氏は強調します)。
しかし、これと並行してProphecyは、「『Tribes』がどのようなゲームになりうるか、その進化を見つめてきた」といいます。 たとえば、Prophecyは1週間にわたるテストで、空中の直接ヒットでプレイヤーをキルできる、Spinfusorの「Blue Plate Special」をずっと簡単に発動できるようにしてみました。 「楽しかったのは最初の5分間だけです。すぐにその[輝き]は失われました」

『Tribes 3』の実験的な早期アクセスは、『Starsiege: Tribes』のリリースから26年経った今でも、本シリーズがいかに同じ根本的な問題に悩まされているのかを浮き彫りにしています。 なぜ、誰もがプレイするシューターではないのか? そして、どうすればそのアイデンティティを失うことなくひとつになれるのか?
ヤングブラッド氏にとって、この問題は極めて単純です。 「ハマってマスターするのが簡単なゲームではありません。 技術レベルの天井がとても高いのです」
ジョン・チェイ氏も同意する主張です。 「『Counter-Strike』のようなゲームも明らかに非常に高いスキルを要求されますが、初心者と上級者のギャップはもっと乗り越えやすいでしょう」とチェイ氏は言います。「『Counter-Strike』では、初心者がラッキーショットで上級者をキルする姿を想像できますが、『Tribes』では無理です」
ジョンストン氏にとって、この問題はもっと複雑です。 『Tribes』の戦闘の問題点のひとつは、マップが広いため、誰もが常に自分から遠く、ゲームが「アリとの戦い」に感じられることだと彼は考えています。
「渓谷や峡谷といった規模のものを試してみたいと思っています」とジョンストン氏は言います。 「スピードの感じ方についてはいろいろとありますが、立ち止まって自分が戦っている場所について考えてみると、それは実際には世界のずっと小さな部分でしかありません。 そのため、近くではディテールが増しますが、戦闘中は相手が素早く動き、より接近してきます」
ラーキンス氏には明らかにアイデアが複数あり、そのうちのいくつかは、Prophecy Gamesが現在実験中です。 しかし、解決策は『Tribes』の挑戦を和らげようとすることではなく、あえてそこを強調することではないかと彼は考えています。 結局のところ、難易度の高さが評価されて、大人気になったゲームは本作が初めてではありません。
「プレイヤーには『もう1回』と言わせたいものです」とラーキンス氏は言います。「80年代に『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしていた人は、ゲームオーバーになったときにそう言っていたはずです。 『もう1回』と。 『Dark Souls』も同じです。『もう1回』。 マルチプレイヤーシューターをプレイしているとき、勝っても負けてもそこにはこの言葉、『もう1回』があります」
「ゲーム開発者として、私たちが聞きたいのはこの言葉なのです」
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